ジャイプールの懺悔録
いつも明るく楽しく逞しく一人旅を繰り返す私だが、予想外の成り行きに大慌てをしたことが一度だけある。
そこは西インド、ラジャスタン州は砂漠の入り口ジャイプール。ジャイプールは北インド旅行の人気スポットで一週間以上のツアーにはたいてい組み込まれている。風の宮殿と像乗りが観光のメインで日本人観光客も多いところ。したがって観光客相手の詐欺やぼったくりも多い。ちなみに
インドで騙しやすい観光客は一位日本人、二位イタリア人。
騙しにくい観光客、イスラエル人、イギリス人…らしい。
親しげに近づいて来て並んで歩き、あれこれ観光案内始めて後にガイド料を請求する『勝手にガイド』やオートリクシャ(バイクの後部に座席を連結した三輪車)の乗車時50ルピー(約150円)と言っていたのが、降りるときには50ドル(6000円)をふっかける『価格高騰型リクシャ』の被害は後を絶たない。インド通貨とドルや円との換算がややこしのと、英語でのやりとりに自信がないため、いつ払ってしまう。現在のところ、インドの貨幣価値は日本の十分の一なので、少々の被害額でトラブルが回避できるのならと考えるのは仕方がない。一か月も休暇が取れる諸外国と違い、短い休暇で過密スケジュールの日本人。トラブルに関わっている時間はない。それが、かれらの付け目だ。だから日本人は絶好のターゲット。ちなみに6000円は五つ星ホテルスタッフの一か月分の給料に匹敵する。
かつて、私に「ツーリストは嫌いだが、ツーリストのお金は大好き」とぬけぬけと言ってきたインド人がいて憤慨した。
とは言え、仕事を休んで海外に来ている以上、職場に土産の一つも買って帰る義理は欠かせない、地元の土産を覗くことになる。
「Have a nice shopping!」
「thank you!」
バザール通りに立ち並ぶ小店から少し離れた構えの立派な土産物屋の前でオートリクシャは止まり「この店が気に入らなければ、他へ連れて行くからここで待っている」と言う。人に差し上げる土産としては、露店の埃をかぶった色褪物は買えないので、少々高くつくのを覚悟して、こういう店を選ぶ。リクシャーの運転手も心得たもので、あらかじめ提携している店へ観光客を連れて行けば、買い物額に応じたバックマージンが入るので大喜びで何件でも連れて走る。
店に入ると、コの字型のウィンドウカウンターの内側に店員が立ち並び、
「見ルダケ、見ルダケ」と意外にも日本語。
「Ofcauce, I will.(もちろん、そのつもりよ)」と切り替えし、
「what about a nice Indian carpet、(印度のカーペットはいかが、)」と広げて見せる。
「Every thing beautiful. (どれもこれも、すばらしいんだけど、なにぶん私のスーツケースは小さいんで、とても詰め込んで帰れない」
「自宅に郵送も出来る」
「いや、お土産は帰宅後すぐに開けなければ気がすまない質なの。だからもって帰りたいんだ。今度来る時には、この店のために像を詰め込めるくらい大きなスーツケースで来るわ」と跳ね返す。二十代前半と見える若い店員はケラケラと屈託なく笑った。
そんなやり取りをしていると、ジョークばかりをとばして一向に買わないへんな日本人に次々と新たな挑戦者が売り物を広げてやってくる。この総当たり戦をやっていたら、店の中で一番の美形と思しき整った容姿の男が来て、店の中央のソファに案内し、紅茶を入れてくれると言う。とたんに販売員はカウンターからぞろぞろ出て来てソファの背に集まった。
さあて、うちのトップホストのお手並み拝見というところだ。
彼が紅茶を持って戻ってくるまでの間、私はソファで寛ぐ間もなく、彼らの質問攻めが待っていた。何処から来た?日本よ。インドは始めてか?たびたび。どこが一番いい?もちろんジャイプール。何処が気に入った?親切なこの店のスタッフ。ここで大爆笑となる。若い彼らは声高らかによく笑う。私は、自分のジョークが受けて上機嫌だ。そこへ、顔立ち端整のトップホスト君が紅茶を運んできて私の隣に座り、うっとりするほど美しい笑顔を浮かべた。
「Please have a harb tea.(ハーブティをどうぞ)」
「Thank you. (ありがとう。インドはチャイのほうが一般的ではないの?」
「はい、その通りです。ふつうはキッチンのスタッフがチャイを作りますが、
今日は僕が作りました。ぼくはハーブティが得意なんです。特別なお客様にだけしか作りませんが」
痺れるねぇ、このセリフ。「Thank you for special」と自然に頬がだらしなく緩む。
「この店は品揃えがいいでしょう。お気に入りのものが見つかりましたか?」
英語も上品だ。
「そうねえ」
「日本人はお土産がお好きなんですよね」
「obilient surveneer(義理土産よ)」
「あはは、そんな単語初めて聞きました」ソファの回りからも大爆笑。
「それでは、僕にもギフトを下さい。」
「そうねぇ、何がいいかしら。ところであなたは、この店のオーナーの息子さんね。」
「えっ!いいえ僕は使用人です。」
「だめよ、隠したって。あなたの英語はとてもうまいし、振る舞いもエレガントだわ、それに話もとっても知性的」
ソファをとりまく八人は肩をすくめたり、互いの顔を見合わせて話しの成り行きに興味深々。トップホスト君はテレながらも嬉しそうだ。
「お金持ちで、美男子で。女の子にモテるでしょ」
「いいえ、とんでもない、僕なんてぜんぜんです」
後ろの連中が眉毛をひくひくさせながら、やつかみ半分で彼の後頭部を小さくつつく。
「ありがとうございます。でも僕は、オーナーの息子でもないし、女性にはもてません。僕はマダムのギフトにわくわくしている召使のようなものです」
「あら、もうギフトはあげたわよ」
「はぁ?」
「リップサービス」
店のスタッフと周りにいた外国人観光客達から大爆笑。しかし、ホスト君はめげない。
「マダム。これじゃあ僕はただの笑いものです。挽回してくださいよ、僕の名誉のために。何かをお選び下さい。スカーフはいかがですか、クッションとか、花瓶とか」
「何もない」
「紅茶とか?」
「私の欲しいのは」
「欲しいのは?」
私は大爆笑を期待して、極めつけのジョークを言った。
「仕事」
「はぁ ?」
「私、仕事を探しているの」
ソファの周りがシーンとなった。誰も笑わない。私は当てが外れ、この沈黙をどうしようかと動揺した。ちょっとやりすぎたかなといやな予感。
ホスト君はスファをすっと立つと、少し放れて立っていた腹の突き出た中年の男に近づき、なにか話し始めた。やがてホスト君と彼がやってくるとソノタオオゼイは直立不動になった。マネージヤーだったのだ。
「話は聞いてたよ。面白い日本人だと思ってたんだ。仕事がほしいんだって?
うちで働かないか」
―――えっ!どうしてそんなことに。
「どんな仕事?」
「うちのスタッフに日本語を教えてやって欲しい。日本人観光客は金持ちなんだ。ただ言葉が通じん。日本語で売り込めば積極的に売り上げにつながるはずだ。それに日本人のあんたがいれば、彼らも安心する」
―――なんだか、興味がそそられる。
「なるほど、でも毎日日本人がくるわけではないでしょう」
「もちろんだ、販売もやってもらう。あんた大分、インドには詳しそうだな。通常インド人はよその州には行かないんだ。だから他の州のことは知らない。あんたの知識を販売に活かしてもらう」
―――ああ、こんな仕事がしたかった。
「面白そうね」
「給料は月50ドル(約6000円)。寝るところは寮がある。家賃はタダだが、食費として一日10ルピー(25円)をもらう。」
「ありがたい話だわ」
「あんた、日本のどこから来た」
「大阪よ」
「京都に近いところなんだろう、大阪は。京都には僕の友人がいるんだ。京都には一度行ったことがある」
「ふうん、その友人は日本人?」
「いや、インド人だ。留学をしている」
「マネージャー、もし、この人がうちのスタッフになったら、大阪に行けますか?」
スタッフの一人が言うと、周りの連中からざわめきが起こり、彼らの言葉の中にジャパン、ジャパンという単語が弾みはじめた。
―――えっ、それとこれとは…。まずいことになってきた。
「それは、わしにはわからん、少なくとも飛行機代は自分で稼がねばならんだろうからな。ただ休みが欲しければ与えてやる。日本での知識や経験を期待する。販売力が上がれば昇給も考えよう」
すばらしい!わぁぉぉ!と歓声が上がり、もう彼らの気持ちは日本に直行だ。
―――な、なんで。ちょっと待って。どうして急にそこまで進むの。
「本当にいいお話をありがとうございます。とりあえず、今回私は観光ビザで
きているので、一度日本に帰って両親とも相談して、お返事したいと思います。よろしいですか?」
「もちろんだ。僕の名刺を渡しておく、オフィスにメールを送ってくれ。」
「はい」
「何時ごろ返事がもらえる」
「帰国のフライトが三日後なのだ、多分五~六日後になると思います」
「O.Kだ。いい返事を待っている。」
私は彼の名刺を受け取りソファを立った。ソファの背にはスタッフ全員日本への夢と期待で満面の笑顔。彼らにぺこりと頭を下げて出口に向かうとぞろぞろと皆付いてきて、扉の外まで出て見送ってくれた。一列になって手を降り続ける彼ら。「Came Back,soon(直ぐに戻って来いよ)」と言いながら。
私は別れを惜しみながらオートリクシャに乗り込み、走り出すと窓から身を乗り出して手を振替した。
「マダム、ずいぶんと楽しい買い物だったようですね。いいものが得られましたか?」
「うん」
バックミラに映る彼の目が一瞬輝いた。
「どんなものですか?」
「素敵な未来」
私はインドで暮らせる。しかも働きながら。キャリアが積める。ヒンディー語が話せるようになる。住むところも食事も確保できている。さらに日本語とこれまでのインド各地の旅行経験が活かせる。こんな素晴らしいチャンスは人生で二度と来ないだろう。
インドで販売のノウハウを学ぶ。仕入先のルートを確保する。三年くらい日本語を教えなが働いて帰国する。今の仕事の退職金をつぎ込んで日本でインド雑貨の店をオープンさせる。月に一度くらいは店内でインドセミナーを開く。管理栄養士の資格を活かしチャイやカレーの販売も悪くない。などなど…。
この夢のような甘美な誘いにワクワクし、暫く私は何も手に着かなかった。そして、約束の帰国後六日目。インドにメールを送った。
Hello. How are you? I`m so sorry
ごめんなさい。大好きなインドでの仕事も魅力的ですが、私は日本にいてやりたいことがたくさんあります。両親と相談した結果、やはり日本に留まることにしました。ご好意には心から感謝致します。マネージャーさんやお店のスタッフの皆様のご多幸と健康、そしてお店の繁栄を心よりお祈りしております。
その後、私は瓢箪から駒のように出てきたこの話。ジョークから仕事だけれど。お店の若いスタッフたちの日本渡航への期待に沿えなかったことが申し訳なかった。そして、この罪滅ぼしに『アジアボランティアセンター』でインドの子供たちの教育支援するボンラティア活動に加わった。
ジャイプールのお店の皆さん、ごめんなさい。日本には自分の力で来てね。
了
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