アーユルヴェーダ通信17 ひょうたんからガネーシャ
地域のFM放送局に投稿したシナリオがラジオドラマとして放送される事になりました。ありがとうございます。嬉しいです。とっても嬉しい \(^◇^)/ 今回で2作目。このいきさつは3年前になります。
『朗読を学びたい人募集』というFM放送局の広告を見ました。私は子供の頃から変わった声と言われてきたので、ひょっとして隠れた才能があるのかもしれない。これはプロに認めてもらえるチャンス、上手くいけば声優となり、これまでとは違った人生が開けるかもしれない。と恐面てのインドラ神さえ、あきれるほど大きな夢を膨らませて申し込みました。
朗読教室のカリキュラムは週1回3か月間の授業。最終日は自分の朗読をラジオで放送してくれる。しかも読みたい作品は著作権に触れない限り自由。という有難いものでした。
発声の練習やセリフ、アナウンスのノウハウを学び、どうにか最終日までこぎつけました。私は自分が書いた作品『尾のついた蛙』を読むことにしました。内容は児童施設で育った青年が、行方不明になっていた母親を訪ねる。という5分ほどのお話。
収録のラジオブースの中、ガラスの外では、放送スタッフの人が指を1.2.3と順に立ててカウントし、どうぞと合図。「台本の紙の音を立ててはいけません。全て録音されます」と言われていたので、冷や汗も拭えずマイクに向かい、緊張のあまり2度も声を詰まらせ読み終えました。ブースから出ると力が抜け、上の空で放送日時と番組名を書いた紙を受け取りました。
さて、指折り待ったひと月後、放送当日。どういう訳かラジオのチューナーをいくら合わせても、私の朗読が放送される番組は始まりませんでした。「えっ、どうして、どうして?」とパニクリながら考え続けて2時間後。解りました。私が持っていたラジオはAM専用だったのです。あほぅやなぁ。FM局の番組なのに。((+_+)) ああもう、声優の夢は終わった。
それでもまた1か月後、朗読がC.Dになって送られてきた時には、いったいどんな放送だったのだろうとドキドキしながら再生。そして、才能の女神に見放されたことを確信したのでした。聴くに堪えない自分の朗読。放送して下さりありがとうございました。放送事故としてクレームが来なかったでしょうか?
作品にはイメージしている情感がありました。主人公の心の葛藤、自分を捨てた親。許せない。でも会いたい。という矛盾した想いを描いたつもりでした。ところが、作品のイメージと自分の声質が全く合わない。がっかりしました。私の声は軽くて高音。まるで明るいメロディーにのって歌っているよう。人生は楽しいことだらけ。葛藤なんてケセラセラ。としか聞こえない。もうー、いや!(>_<)
その後、放送局の番組表に『ラジオドラマの脚本募集』という広告を懲りもせずに見つけました。物事を良い方にしか考えない私は、これは別の可能性への道しるべに違いない。前回の落ち込みや反省のしおらしさは欠片もなく、新たな夢の風船を掲げて図書館に直行し、脚本の書き方を独学。ドラマはわずか15分ほどのものでしたが、ひと月かけて何とか完成させました。投稿してみると、それがなんと採用。半年後ドラマ化された放送を聞いた時は、大喜びで私の夢は宙に上がる熱気球でした。そして確信を得ました。語りは自分でしない方が良い。(#^.^#)
『ひょうたんから駒』という諺があります。予想もしない結果が跳び出してきた。と言う例えですが、私にとっては『ひょうたんから跳び出したのは象頭の神、ガネーシャ』の感じです。声優の夢ははかなく消えましたが、自分を知るきっかけになりました。振ってみたひょうたんのご利益です。
『ひょうたんからガネーシャ』様。せっかくお出でくださったのですから、これからもご利益、大いに期待しております。よろしくお願いいたします。(^◇^) 南 想子
暑中お見舞い申し上げます。
今日から8月。梅雨明けもして夏本番になりました。
どうぞ、コロナと熱中症に気を付けて、ご自愛ください。
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