砂漠のエイジェント

「タール砂漠を横切ってインドからパキスタンに入りたい」という私の希望は、どうやら完全に無視されたようだ。

私の一人旅を、いつも快く手配してくれる旅行社からの回答は、定番のパックツアーがメールで送られて来た。

コメントに「8月のラジャスタン州は真夏です。1月2月ごろに行かれることをお勧めします。その頃は砂漠も冬ですので、日中気温は30度前後、過ごしやすいです」と添えてあった。「それでも行きたい」と返信すると「パキスタンの内政が不穏ですよ。お一人ではどうかと…」と返事が来た。「うーん」そう脅かされると『日本人女性、パキスタンで拉致』そんな背筋が凍るような新聞記事が浮かんでくる。

タール砂漠を横切りパキスタンから帰国するのが念願の夢だった。この旅は私のインド旅行の中で最長距離になるはずだ。サラリーマンの私が一週間以上の休暇が取れるのは夏休みしかない。一年に一度の機会を何年も先延ばしにしていると、体力がもたなくなる気がする。インドに行き始めてすでに十年。始めの頃は帰路の飛行機が旅の終わりでブルーな気分だったが、最近はホッとする。私にとってインドは年々きつい国になって行く。

でも、まぁ、焦らなくてもいいか…。

「国際線→国内線→列車→ジープ。8月末。ビザはインドのみ手配よろしく」と返信を送った。




「You have beautiful hair. Madam. (マダム、黒くてステキな髪ですね)」

「Thank you.」

私の首にオレンジと白の花を編んだ花輪を掛けながら、黒い蝶ネクタイのホテルスタッフが言った。続いて冷たいお絞りを別の若い男が持ってきた。その後ろにはボーイらしき青年が丸い銀盆の上にマンゴージュースを載せて控えている。

なかなか気の利いたホテルだ。ここはもと砂漠の宮殿で改装してホテルとして営業している。モスクのような高い円天井やアラビア風の豪華な装飾が当時の繁栄を偲ばせる。三人に囲まれてチェックインカウンターに座る。貫禄の中年スタッフがにこやかにパスポートの呈示を求めた。

「以前、日本人を見たのは… たしか7、8年前です。学生風の男の人でした。よくここまで、しかもお一人で、よく来られましたね」

「なんとかね」

「日本女性を見るのは初めてです。マダム、その髪はナチュラルですか? それとも染めているのですか?」と若いボーイ。

「もちろん、染めているのよ。日本人のナチュラルヘアーはね、グリーンなの」

「グリーン?」

五人は顔を見合わせ、ジョークとわかると大爆笑がロビーに響き渡った。




関西国際空港からタイで乗り換え、インドのムンバイ国際空港に深夜到着。一晩ムンバイに泊まり、翌朝、国内線でジョードプル空港に着く。そこで一泊し、翌朝五時の列車に揺られて七時間、昼過ぎに目的のジャイサルメールに到着した。ここから百キロ余り砂漠をジープで走ればパキスタンの国境となる。

ラジャスタン州、ジャイサルメールは十二世紀に東西交易の要所として栄えた都市国家だ。のちにイスラム勢力によって滅びるが、その後もこの城砦都市は駱駝をひいたヨーロッパやアラビアの貿易商人たちのオアシスとして繁栄してきた。しかし、スエズ運河の開港により、交易路としての重要性がなくなり、最終的にはパキスタンとの国交封鎖により行き止まりとなった砂漠の王国。

城塞都市ジャイサルメールは。シルクロードを描き続けた日本画家平山郁夫さんの砂漠の作品集で有名だ。インドの中のアラビア。金色の月の砂漠。そして、なによりも、有名な民族舞踊ラジャスターニーを砂漠のテントで見るのを楽しみにしていた。




「No, madam…(いいえ、マダム。確かに明日の夕方、ジープで砂漠に行きますが、あなたのスケジュールにラジャスタン舞踊は入っていません)」

その日の夕方、ホテルに来たインド人ガイド、ナトシンは言った。

「そんなはずはないわ。私、砂漠のテントでディナーを食べて、ダンスを見るのよ。」

「でも、マダム、通常ラジャスターニーはグループでないとやらないんですよ。だって、そうでしょ、あなた一人のために村から楽団や踊り子を集め、テントを張るなんてありえない」

「でも…。」

私は旅行会社から航空券と一緒に送られてきた旅程表をバッグから取り出した。確かに、ダンスとディナーは記載されている。しかし、日本語が読めない現地ガイドに見せたところで何の役にも立たない。

「一人では、だめなの…?」

「当たり前でしょ。あなたがクィーン(女王)ならともかく」

なーんだ、つまらないな。ホテルにもどったら日本に電話してみよう。とりあえず、ナトシンの案内で、夕陽の丘の上、巨大なフォート(城砦)を見に行った。

ホテルにもどる。午後6時半。国際電話を掛けようとフロントにコールする。ところが、日本との時差が3時間半遅れであることに気づいて受話器を置いた。今日本は午後10時。旅行社が営業しているわけが無い。それなら、日本と提携しているニューデリーオフィスに。と、旅程表を広げた。電話連絡先一覧表が見つからなかった。それには主要都市のエイジェントの電話番号が載っている。うっかりしていた。家に置いてきたんだ。ふーっ。と、ため息。何という間抜け。ここまで来て目的のダンスも先送りか…。




翌朝、ガイドが迎えに来た。

「ナトシン、私をあなたのオフィスにつれて行ってくれる?あなたのボスに会いたいの」

「僕に、何かクレームでも?」

「ううん、そうじゃないの。私のスケジュールのことで話があるのよ」

「ダンス アンド ディナー?」

「そうよ」

彼は携帯電話をズボンのポケットから取り出し、インドの言葉で話し始めた。

ボスとアポを取っている様だ。

『トラベルジャイサルメール』と書かれた大きな看板の向こうには昨日見た、巨大なフォートが聳えていた。太陽がまぶしい。強烈な日射で顔を上げられない。

インドのエイジェントオフィスに行くのは初めてだった。外があまりにも眩しかったせいか、ガイドの後をついてオフィスに入ると、中は真っ暗で何も見えない。しばらく目が慣れるのを待った。

旅行社というのはたいてい、国内、海外の観光地のポスターが壁一面に張ってあり、「いらっしゃいませー」とキリリとした制服を着たスタッフがカウンターの中で「さぁ、さぁ楽しい旅はここからですよー」と諸手を挙げて大歓迎してくれるものだと思っていた。

しかし、くすんだ白い壁に浮かび上がってくる人影は、褐色の顔に目をぎらつかせる男、男、男…五人。にこりともせずにつっ立っている。八畳ほどの四角い部屋に机とパソコン1台があるだけ。まるでかつて見たインド映画の武装テログループのアジト。いつの間にか5人に取り囲まれた私は思わずガイドを振り返った。ひょっとして私、拉致されたの?

                                                     



「I would like to see. Mr.Valani.(ミスターバラニにお会いしたいのですが…)」ボスの名前はあらかじめ、ガイドから聞いていた。

「俺だ」

男の一人が低いガラガラ声で無愛想に応えた。骨格のしっかりした四十歳くらいの大男で他の男たちの頭が彼の肩先までしかない。太い眉にでこぼこのあばた顔。そのあばたが口を動かすたびに頬に斜めの皺ができる。それが刀傷のように見えてスゴミがある。

「私は日本から、ラジャスターニーという有名なダンスを見に来たんです。でも、何かの手違いで、手配が出来ていないらしいのです。何とかしてもらえませんか」

「あんた、一人か?」

「はい」

「一人じゃだめだね。テントをセットして楽団や踊り子を村から集めるのに、どれだけ金が掛かると思う。とても採算が合わん。あんたの仲間も連れてきな」

「それが…。私、一人で来たのです」

「あんた、一人でか?」

「はい…一人では手配してもらえませんか?」

「できん」

確かに、一人ではどうにもならない時もある。一人旅をしていると得な事もある、損な事もある。彼らもビジネスなのだ。

少し、ブルーな気分になって、オフィスを出たがジャイサルメールの城砦街を観光しているうちに気分はバラ色になった。インドの中のアラビアは予想を遙かに越えていたのだ。ヒンドュー教やジャイナ教の寺院がモスクの様にドームの屋根を造形されている。微細な模様が彫られた白い石壁や柱にイスラム文化が強く影響している。蔓草模様の石のバルコニーにアーチ型の窓。ベールで顔を覆った女がレースの陰からこちらを見下ろしている。敷石を叩く牛の蹄。予想外に大規模なアラビアンナイトの世界だ。

私は大いに満足し、まぁ、いいかラジャスターニーは次回ということで。とあっさりあきらめた。今回は初めから手順がまずかった。どうにもならないことはいつまでも引きずらない質なのだ。

そして、ジャイサルメールも明日の晩を残すところとなった。ホテルに戻り、膨れ上がったお土産物の整理をしていると、旅程表の中から英文の書類が出てきた。それは日本の旅行社からニューデリーオフィスに宛てて送られたメールのコピーで、私の旅程が日にちを追って書かれていた。

Including dance and diner at the tent in the sand dune.(砂漠のテントでダンスとディナーが含まれている)とあった。

窓を開けると砂漠の果てに、きらめいた一番星。思わず私にいたずらっぽい笑いがこみあげてきた。

「グッドモーニング!バニラ」

「何!バニラだと。俺はアイスクリームじゃない。バラニだ」

「すみません。言い間違えました、バラニさん」

「また、あんたかい」

次の朝もガイドとエージェントオフィスに行った。

私が入って行くと、バラニは机に頬杖をついて、不機嫌そうに応えた。

「これを見て欲しいの。昨夜、スーツケースから出てきた」

「何度、足を運んでもだめだ」

「でも、ここにはこう書いてある。Including dance and… つまり、ダンスとディナーの費用は日本で支払い済みなのよ」

「そうかもしれん、あんたが予約した時点では、まだ日にちもあったろうから他の観光客が何組が集まると踏んだんだろうな。でも、繰り返し言うが、今のところ、客はあんた一人なんだ。だからラジャスターニーはできない」

それを、日本では契約不履行というんだぞ。と、心の中で詰め寄ったが、もちろんインドでは何の解決にもならない。あーあ、ここまで来てまた無視されるはめになるのか…。いーや、そうはさせない。

「そう、仕方ないわね。では、あきらめるわ。もちろん支払ったお金は返してもらるんでしょうね」

「えっ!」

バラニは息を詰まらせた。

「あー、イエス。あっ、いや…、どうかな?」

壁にもたれて突っ立っている男たちの一人にバラニはヒンディー語で何か話しかけた。男はバラニの机を指さして応えた。彼が机の引き出しを開ける。私はドキリとして身構えた。

「やっかいだから、殺っちまおう」と拳銃でも出してきたら、どうしよう…。

緊張が走ったが、引き出しから出て来たのは一冊のファイルだった。

「ちょっと待ってくれ」

パラパラとそれを開き、彼は机上の受話器を取ってヒンディー語の会話が始まった。ファイルのページを覗くとニューデリーオフィスの住所とMr.Sharmaとスタッフの名前が書いてあった。そっちへ確認を入れているのだ。

しわがれた声で捲くし立てる彼のヒンディー語はドラムの連打のようだった。何か言い争っているようにさえ聞こえる。周りの男たちも身動き一つせず、にこりともせず聞いている。当然だ、彼らに笑顔が美徳という概念はないし、さらに彼らにとって利益になる話ではないはずだ。

会話の筋が見えないのは私だけのようだ。ひょっとして、そんなに言うのなら一人でも見せてやる、その代わり高い追加料金をぶん取ろうと算段しているのか。彼の電話はなかなか終わらず、私は次第に後悔し始めた。

やがて、バラニは凄みのある顔に刀傷のような深い皺をつくり、怪しく笑いながら私をチラチラと見た。ますます怖い。私は背後のドアの位置を横目で見、それが薄く開いているのを確認した。もしもの場合には、猛ダッシュして逃げる。やがてバラニは電話を切り、スクッと私の前に立ちはだかった。来た!

「Congulatulations (おめでとう)」

「えっ!」

「話はついたよ。今夜は砂漠のテントでダンス アンド ディナーだ」

「はぁっ?」

「お客はあんた一人だ。大いに飲んで、踊って楽しんでくれ」

「追加料金とか?」

「フリーだよ、何もいらん。あんたは今夜はクィーンだ。砂漠の王女だ」

「ええーっ! ホントですか! 私のために!」

「ああ、ニューデリーオフィスであんたについて聞いた。インドにはあちこち一人で行ってるんだってな。女一人で大したもんだ。俺は観光の仕事なんかやってるが、この州から出たことがないんだ。また来てくれ。必ずな。いろいろ聞かせてくれよ。いいか、次のディナーは、わが家でするんだ。俺の家族とな」

「きゃっはー! やったー!」

思わず、両拳でガッツポーズ。

周りの男たちが白い歯を始めて見せ、拍手をしてくれた。とたんに私は力が抜け、緊張と涙腺が同時にゆるみ、手の甲で目尻をぬぐった。バラニはにこにこしてスマホを開きながら話し始めた。「これが俺の家でな、家族は8人だ。このソファの真ん中の長男は出来が良いい。俺に似て男前だ。横にいる次男は、まあまあだがな。娘はな村一番の美人だ。料理が得意で…」

砂丘を越えると、その向こうも砂丘だった。西日を浴びた黄金の砂地がどこまでも続いている。じっとしていると足が沈んでいく。

白いテントを張った広場では櫓に組んだ松明二つに火がくべられた。その下では裸の上半身に白い腰布を巻いた男二人が、肩から下げた太鼓を叩く。

ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、

私を出迎える太鼓だ。

ラジャスタンダンスが待っている。赤や黄色の楽士たちのターバン。楽器はハーモニウム、シタール、ドラム。華やかなドレスで飾った踊り子たちが、足鈴を踏み鳴らす。砂丘を降りてくる私を祝福の赤い花びら舞う。

砂漠の王国、ジャイサルメール。文明に取り残された行き止まりのオアシス。

駱駝が何頭も砂地に座り、首だけを伸ばして、月を見上げる。

東西交易はすでに断たれてしまったが、この満天の星空はタール砂漠を越えパキスタンへ、アラビアへ、そしてヨーロッパへと、今も変わりなく続いている。不条理な国境に阻まれ戦争やテロの歴史に翻弄された時代もあったが、悠久の時を超え、人々の暮らしが今も息づいている。そしてそこで生きる人たちの心は夕陽の砂のように暖かい。

                                

                                                                                                                     了

関西で学べるインド式健康法アーユルヴェーダ・ライフ|南想子の教室

ナマステ。インド式健康法アーユルヴェーダにようこそ。健康は正しい食事と生活習慣でつくられます。この教室ではアーユルヴェーダの健康理論を基にスパイス・瞑想・セルフエステを日常生活に取り入れた生活習慣を目標にしています。あなたの体質あったヘルシーライフスタイルを一緒に見つけましょう。

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